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巨人のえげつない「4番集め」の過去…打線が重量すぎるが故の“珍事”も発生〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

“FA元年”の93年オフに中日の4番・落合博満を入団させ、翌94年のシーズン途中に前年までダイエーの4番を打った岸川勝也を交換トレードで獲得。“落合効果”で5年ぶりの日本一を実現すると、「まだ足りない」とばかりに、同年オフにもヤクルトの広沢克己、ハウエルの4、5番(ハウエルも4番併用)を両獲り。1年の間に他球団の4番4人を相次いで入団させた。  当時の巨人は、原辰徳、吉村禎章、岡崎郁、大久保博元の4番経験者が顔を並べ、松井秀喜も94年のオールスターで全セの4番を打っているので、極端な話、4番打者だけでオーダーを組めるほどだった。  そんな“夢のオーダー”がほぼ実現したのが、95年4月7日の開幕戦、ヤクルト戦(東京ドーム)だ。  1番セカンド・岡崎、2番ショート・川相昌弘、3番ライト・松井 4番ファースト・落合、5番サード・ハウエル、6番レフト・広沢、7番センター・マック、8番キャッチャー・大久保、9番ピッチャー・斎藤雅樹。  マックは翌96年に負傷欠場の落合に代わって4番を務め、斎藤雅も投手ながら通算5本塁打を記録するなど、野手顔負けの打撃センスの持ち主。これに加えて、原、吉村、岸川が代打で控えているのだから、まさに“4番の金太郎飴”だった。  だが、ヤクルトベンチの野村克也監督は泰然自若としていた。巨人のオーダーを見た高津臣吾が「すげえなあ……」と恐れをなすと、「全体で見るな。一人一人寸断してみろ!」と叱りつけた。「いくら強力であっても、これは“打線”ではなく、“打順”に過ぎない。一人ずつ切り離して考えれば、攻略法はある」というのが理由だった。  早い話が「打線は1番から9番までそれぞれの役割があるのに、ホームランバッターばかり並べて“楽して勝とう”なんて野球は通用しない」ということなのだが、はたして、同年の巨人は、優勝したヤクルトに10ゲーム差の3位。チーム打率もリーグ4位の2割5分2厘、本塁打数も139で3位と、当て外れの結果に終わった。

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August 01, 2020 at 02:00PM
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